レーズンは無理

レーズンを食べると寂しい気持ちになる。

 

乾燥した葡萄の皮の舌触り、ふにゃりとした歯ごたえのない食感…。
なぜ自分はこれを口にしたんだという後悔はやがて、寂しさ哀愁に変わる。
胸のここら辺(真ん中あたり)がモヤモヤするんだ。恋じゃない。

 

初めてレーズンを初めて食べて、こんな気持ちになった小学1年生の給食の時以来、ぶどうパンが出たならほじくり返した残骸だけを食べるようになり、
北海道土産だと渡されたバターサンドだって大抵誰かにあげるか、digってる。
その度に「美味しいのに」と、怪訝そうな目で人はほじくり返す私に言うのだ。

 

インドに行ったら人生観が変わったと言う人もいるが、インドに行かずとも一生は暮らせる。
レーズンだって、レーズンを食べずとも一生は暮らせる。それでいいじゃないか。

 

ある日突然、人類の主食が米や小麦からレーズン山盛りにならない限り。